実は書痙があるのだが、痙性斜頚になってしまった。
書痙というのは字を書こうとすると手が震えるもので、実生活では困るが病的なものではない。治療はベンゾジアゼピン少量だけど、字は震えるもんだ、そういうもんだと思っているから、私は治療してほしいと思わない。
今日気がついた痙性斜頚は首の筋肉が勝手に縮んで首が回ってしまう病気(?)である。これも治療はベンゾジアゼピン少量だけど首は回るもんだ、そういうもんだと思うのでつらいがこれも治療してほしいとは思わない。テレビを変なところにおいて見ているせいかもしれない。
ベンゾジアゼピンという薬は躁うつ病の急速交代型とはとても相性の悪い薬である。躁とうつの波がドハデに来るからだ。またベンゾジアゼピンはほとんどの人にはリラックス効果があるけど、あんまり長く飲み続けると感情をコントロールできなくなる人も出てくる。ただ、短期であればよい薬なので、処方されたら飲んでほしい。でもくれぐれも勝手に入手したりしないように(不法譲渡は禁止されています)。
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首が勝手に回るのを回らないようにコントロールするのもつらいなあ。と思いながら、首が回るままにテレビを見ている。「くず弁護士」見たいけど、4月からのエリアではTBS系入らないので残念。弁護士は「正義の弁護士」「悪徳弁護士」、という分類があるけど、医者はいい医者の代名詞は「赤ひげ」悪い医者は「藪医者」。医者に関してはまだまだ性善説なのだろう。
明日かあさって、引越しの谷間にメルマガでます。内容は「偽悪ちゃんが医者になるまで」を前座に「離婚裁判」の正義の弁護士・荘司雅彦さんの記事をいただきましたので注目です。
ああ、首が回るのがつらい。でもまだ回る首があるだけいいのだろう。春だな。
私はコメント欄、トラックバックを完全封鎖して、ブロガー戦線からとっとと離脱してしまったが、とにかくブロガーと現実生活と両立させるには余りに多忙すぎるし体力が無さ過ぎる、それに危険を冒す意味があるとも思えなかった。ブログはテキストサイトの簡易版と考えれば本当に短時間でいろんなことが出来る便利なツールだ。しかし、誰しもが自分のブログを運営するようになった今は1年前とは事情が違う。まず、個人宣伝のコメント、これは脅威だ。知り合いのところでは猛威を振るっているようだ。見ているとほとんど通りすがりのようなコメントで内容のないものが多い。中味はそうだそうだ、に近いものばかり。それでいて自分のブログへのリンクはちゃんと貼ってある。これはあんまり有り難くないコメントでほとんどスパムである。もちろんこんなのにコメント返しするのは内容がないから返しようがないし、時間の無駄という奴である。私が第一線でブロガーだった頃にはこんなのはあんまり無かった。というか一つ来てブログやっているのがアホらしくなって、でも書くのは楽しかったのでブログは閉鎖しないで♪コメントは掲示板へ♪が誕生した。本当に話があるのなら掲示板に書くなり、メールを送ってくるなり方法があると思ったから。掲示板やメールの宣伝効果はほとんど無いに等しいからである。
コメント欄を廃止して、時事ネタを極力書かないようにして、掲示板にコメントを頂くという形式にしたら、アクセスはそれまでの5分の1以下に減った。私の書くものはコメントを付けにくいものが多かったけど、コメント欄の敷居の低さはアクセスにつながっていたという事だ。知り合いの人気ブロガーのコメント欄を見ていると、コメント欄はブログの個人宣伝に溢れており、それらは所詮ガセネタであり、コミュニケーションではないという言葉を確信できる。ほとんど全てにレスを返す管理者さんたちに頭は下がるが、原コメントは内容が無いものがほとんどで、内容がないコメントにレスを当てることくらい苦痛なことは無いもので、表現をコメント欄に食いつぶされてしまうのではないかとすら危惧してしまう。
私のだらだら日記のときにアクセス・コメント数が多くてもそれはガセネタを求める人が多かったというだけのことなのだから、今の少ないアクセスが本当の力だと思うしかない。少なくともアクセスを求めてまたガセネタに逃げちゃ駄目だし、ガセネタでどんなにアクセスを稼いでもなんにも残っていないし、1日700〜1400ページビュー(ユニークアクセスで300前後)あっても、その記事内容は半年後でほとんど価値がない。そんな虚しいことはやってもしょうがないというのが私の意見だ。そのうちブログという文化は間違いなくアメリカのように個人宣伝とコメント・トラバスパム攻勢によって破綻すると思う。
※そういいながら、真の意味のトラックバックには意味があると思うのでFC2のみ、トラックバック復活しました。但し言及リンクがないとはねられます。
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半端じゃなく太りました。使用前使用後7kgプラス。
主治医のトリシマには申し訳ない、と思いますが明らかに薬太り。ロドピン100mgになってからすこぶる調子はいいのですが、2ヶ月でこれが同一人物かというほどの太りよう。ある漫画家さんは統合失調症とのことですが、かつて彼女の薬太り(?)した写真をHPで見て、うむむむむむっ…と思ったのだけど、まさか自分がなるとは。
精神科的に根拠はないのですが(明らかに体重が増える薬は存在しますが)、精神的に落ち着くと体重は増えると思います。薬太りというものは存在する、でも治療のためならしょうがないとお仕事でも自分のことでも思っていました。私の場合は荒れ狂っているときは美容体重以下、落ち着いているときは美容体重〜平均体重の間に収まっていたのに。
とにかく、薬太りか、単に年齢的に太ったのか分らないけど、やせないと肉割れが出来てとても痛い。洋服も入らない、とても痛い。とりあえず夜中自分の太る音が聞こえる。やばい!!!
4月3日から通勤は往復40分歩きます。夜間救急外来から呼び出されても歩きます、はさすがに迷惑すぎるからやらないけど。とにかく痩せてやる!もちろんお薬は飲みますよーだ。薬なんかで太ってたまるかってんだ!(くれぐれも出されたお薬はきちんと飲みましょう)
うじうじしているnishimaなんて…
近頃めっきり調子の悪いnishimaです。最近頭を熱くして物を書くことに恐怖を感じて、さっぱり書けなくなってしまったのです。ここに見えないところで沢山書いているから回らなくなってしまったのかもしれません。
読み物としてのよりぬきとしてはてなバージョンを復活させました。また、メンタルヘルス系の読み物はアメーバに新しく作りました。アメーバは精神科ブログを作ったはじめのところであり、節目で元に戻ったとも考えていいかもしれません。
さてと、職場の机の引越しがあった。ブルー…
アメーババージョン(精神科ブログ)
メルマガは「離婚裁判」特集号として、4月上旬に延びました。
荘司雅彦さん記事に注目です。
でました、アメーバブックス。現役の弁護士の方が書かれた本です。大ママ@fixさんこと熊谷早智子さんも5ページほど書いたとのことです。
そんなわけで、興味のある方は覗いてみてください。
私はその定義からモラルハラスメントという言葉は被害者を出したり、逆に被害者の人が加害者に言い立てられてまた被害を深めることもあると思うので慎重に使うようにしていますが、DVを受けているけどそれを認められない、あるいはDVなんだけど分りにくい場合を表現するには便利なのかなと思っています。そういった側面に限定してモラルハラスメントをここで使うことにします。
精神的DVについてこれからどうやって「遭っている」という事を受け入れやすいものにしていくのか私なんかは考えているところですが、精神的DVに遭って離婚という際に、この本の中の裁判のシーンは現役の弁護士の方が書いただけあって、絶対参考になると思います。
関連ブロガーの皆様、どんどんTB飛ばしてください。
(言及リンクがないとシステム上、はねられるのでご注意)
テーマ : DV(ドメスティックバイオレンス) - ジャンル : 結婚・家庭生活
いろいろ考えて、こちらに統一してはてなは非公開にします
また、小さな更新はhttp://nishima.orgのトップページで引き続き、こちらは大きめのネタ(800〜2000字あるいはそれ以上、長くなるときは分けます)のみになります。大ネタであれば検索で飛んできてもらっても支障はないけど、つぶやきレベルだとちょっと困るという事で。
時間的に毎日更新が難しくなっての苦肉の策ですが、これからもなにとぞよろしくお願いします。
3.13 nishima
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メール、書き込み、いろいろ書いていたら、もう5時になっちゃった。最近異常に朝早いのです。勿論、効かない効かないといいながら、ドリエルと同じ成分のレスタミンコーワを6錠、調子の悪いときは9錠飲んで寝る。ベンゾジアゼピンが効かないひどい不眠(ロドピン100mg+ロヒプノール2mgで眠れない、かといってロヒプを増やすとヘロヘロになる)に案外効くので、主治医の先生に聞いてみてください(本当に聞いちゃダメ!と言っておく)。目覚めもすっきりだし(それは私だけ!)。
さて、今週末いよいよ引越しで、しばらく中間地点の実家から通うことになりました。運転あんまり得意じゃないけど、頑張るしかない。その前に引越しの準備の片づけが…私、真性の片付けられない人、なのです。こんなこと言ってる間に片付けろ!
お粗末。
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日曜の朝に呼び鈴がなる、ピーンポーン…なんだと思っても、無視せずドアホン越しに会話をすることにした。
「おはようございます、こちらNHKの○○と申しますが、そちらのTVの受信料が前の住所で払われていたか点検に上がりました」
げげ、NHKかよ。しかし、私は見栄を張らず、こう答えた。
「日常生活の情報は全てネットで得ていますので、TVは殆どつけていないのです(これ本当)」
「……左様ですか、分りました」
○○さんの押しが弱かったのか、私の言い方が確信に満ちていたからか、上がりこまれずに済んだ。それにしてもこの言い訳、言い訳じゃなくて本当なのが少々寂しい。だってTVつまんないんだぼーーー。
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テーマ : 人生はサバイバル?! - ジャンル : サブカル
生きていくだけで目一杯、精一杯なので、出版ということは考えたこともなかったけど、メルマガの原稿を元に知っている人に編集をお願いして自費出版をしようとは考えていた。実際知っている人が自費出版をしたということの影響もある。
よほど余裕がないと無理だと思った。というのも私が見込んでいた金額の約5倍も金額がかかるというから。自費出版専門のある会社は「表現する人が主体の」云々言っているが、さにあらず、受け止める人がいて初めて表現なのであり、正直なところ、現象さえ起こりさえすれば、そこで誰がかかわったかなんてどうでもいいことなのかもしれない。表現とは表現する人のものではなくて、あくまでもそれを投影する受けての、心の中の現象に過ぎないのだから。
自費出版の怖いところは国産車1台分のお金で1冊の本が作れてしまう。これは、調子に乗っている人は絶対に騙される。
B6版の144pの本なら自己負担170万円で500部…一冊あたり3400円だという。これは永年勤続者が退職金で自分史を書いて知人に配るのであればいいかもしれないけど(もらうほうは迷惑かもしれないけど)、それにしても500冊もいらない。30冊で十分だと思う。地元の印刷屋さんで十分…と思うし、そうした自費出版専門の出版社から出た本が市場に流通しているという話も、新聞などで宣伝されているという話も聞かない。
以前ぽしゃった企画(ブログを閉鎖したため)で、20000アクセスで『偽悪ちゃんシリーズ』応募権、納期1ヶ月というのがあったけど、そう云う企画のために1冊単位で注文できるシステムがあったらいいなと思う。はてなの方にUPしてみれば100ページの本は2100円で出来てしまうけど、今度こそのブログの20000アクセス、はてなの10000アクセス、偽悪ちゃん+精神科研修の思い出のコピー本の応募権利でどうでしょ。前後賞あわせて各3名。作るのはあたしが一枚一枚縦に段組してプリントアウトして心をこめてホチキスで綴じます(誰が応募してくれるのやら…)なんか貧乏くさいなぁ。でも、昔こういうの作った。懐かしい、何時、そうね、小学校のとき(殴)とりあえず偽悪ちゃんシリーズは完全版がエキサイトにしまってあるので引っ張りだしてきます。えーと明日の予定次回は健康な退行、趣味について。
自費出版の額の具体的なところは、メルマガ「秘伝」を参考にしました。
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すっげぇやなことがあって何にも食べたくないとか、作る元気もないとか、そう言う時はまず真っ先に行くのは「回転寿司」寿司は回っていないほうがありがたいんだけど、調子が悪いときは回っているほうが何かと融通が利いていい。
調子が悪いときにうにだ、ほたてだ、数の子だ、あわびだは無理。せいぜいマグロの赤身である。真面目に調子の悪いときメニューを調査したところ、えびっこ(とびっこ)、納豆巻き、鉄火巻き、いか、マグロの五品目でお腹が一杯なのです。別に家でうどんゆでてればいいかなとは思ったのですが…。
#調子が悪いときは外食は定食にしよう。回転寿司だけはやめよう。でないと気分は余計貧乏くさくなる。
春が来た。煙くさい土埃が舞い上がって髪の毛がパサパサになる。引越しの準備の話ばかりしているけど、物事は順調に進んでいる。ただし、腰椎すべり症を病んでから重いものを持つと思いっきり腰が痛む。痛い腰を抑えながら荷物を別室に運んだ。もう雪が降り積もる心配もない。
引越しを重ねているけれど、本以外の荷物はCDなども含め年々減る傾向にある。そのうちお気に入りの数冊といくつかの着替え以外なくなるんじゃないかと思う。今回洋服なども45lゴミ袋1杯分捨てた。買うときは気軽に買うが、捨てるときは気軽じゃない。尤もどちらも気軽じゃなくなればお金も貯まるんだろうと思うが…
本は再販される見通しのない本もあるので、実家に送っているものもある。いずれ必要になったときのために。しかし、そのいずれ、がいつになるかはっきり分らないので本が一番捨てるのに困る。CDも「珍しいのは即買い」の友人がいたが、たしかにCDの再販も見通しの立たないものが多い。CDは面倒なので、全てmp3に落とした。しかしそのPCが音源ファイルをCDに焼いたり、メディアに落とす前にクラッシュしたため、面倒臭くなってSDカードプレーヤーは開けずにいる。何となく面倒臭いことがつまっていそうなパンドラの箱である。
小学校中学年から20年買いためたり(私はライトノベル、ミステリーは基本的に読まないので蔵書は余り変わらない)、旅先で捨てずを得なかった本やCDを思うけど、こうして見れば絶対に必要なものなんかなかった。『夜と霧』すら図書館で借りて読んだ人間である。絶対に買わなきゃならない本というのは自分の商売道具以外はなかったし、最初の数年を越えれば医局の書棚から雑誌を借りて読むのが精精になる。
さて、本はあんまり買い込むもんじゃない。理想は読み捨て(実際捨てたり売ったりはしている)であるが、読み捨てできるほど作品にのめり込めない。そして「またいつか読むさ」と、いつもこういう重たいダンボールの荷物を作ってしまう。本は大きなダンボールにつめると大の大人でも腰が痛くなる。ほどほど軽い荷物とちゃんぽんに荷造りをし、私は引越しの日を待つのである。
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私は3ヶ月にいっぺん必ず故障する人のようで、朝、本来調子がいいはずが吐き気とめまいが止まらず、無理をするとろくなことがないとわかっているので、大人しく故障していることにした。私は日給月給なので、休むと思いっきり収入に響く。でもつまらないミスをするよりは仕方ない。
さっきようやく起き出して動いているが、原因は引越しの関連のことを急に動いて疲れがたまっているのだと思う。とりあえず、引継ぎのときに倒れないという事はこれでわかったので、今日は身の回りのことをやってまた、タイピングの練習をしてみる。
ソフト的にはやっぱりCD-ROMの関連も含めて、キーボードマスター6が一番優秀なんじゃないかと思うが、あれはやりすぎると適当癖がついてしまう。そう言う訳で特打Englishで基本的なところはやり直し、Type Quick は値段が高い割にはハードに対する柔軟性がなくてダメだ。いまどきの小さいマシンにCDドライブなんかついているもんか。
無理して起きていたらまた頭が痛くなってきた。要は風邪を引いているのだ。熱を測ったら37.8℃。たいしたことはないが、無理をしちゃいかんと思いつつまた寝るのである。
季節はもう春だ。車が跳ね上げる水のマイナスイオンの臭いが道路側の部屋にも染み渡る。そんな春を感じながらも、私は風邪で寝込んでいるのである。
私はコラム、エッセイ、随筆はいつでもどういうテーマでも書けると思っていますが、小説は感覚を訓練(?)しないと書けないと思っています。小説の中でも今日は「いわゆる啓蒙小説」についてお話したいと思います。
コラムなどは一つの伝えたいテーマさえあればすぐ書けると思います。例えば闘病の苦しさだとか、DVの苦痛とかはこの表現形式が適していると思います。というのも、等身大の表現だから同じ苦しみを味わっている人もその表現で傷つくこともないし、何よりもテーマが単一であることからわかり易いのです。
また、闘病やDVなどの外傷的体験を小説にする際に誇張した表現が、同じ苦しみを味わった人の反感を買いかねないのです。これはマイナスの表現ですが、同じようにプラスの表現をした場合、「私、こんなにいい子になれないわ」と反発を食らうこともあるかもしれません。
つまり、同じ自己表現でも誇張なく、率直にこのことを伝えたいという場合にコラムなどは適しています。また、自分の深層に入るのが辛すぎるけど人に何かを伝えたいという場合もこの表現形が適しています。自分の深層に入らないから、他人に伝わるときも外傷的でないのです。深刻なことを率直に伝えるのに適しているのはこういう側面もあるのでしょうね。
かたや小説。人はなぜ小説を書くのか。小説とティーンズ小説などの物語は基本的に違うものだと私は認識しています。年齢的に私はティーンズ小説をスルーしてしまいましたが、実は小学生の後半2年で見切りをつけて卒業してしまっているのです。ティーンズ小説は基本的に読む気にはなれません。なぜならば、よく出来た漫画よりも意識の座が浅く、下手をすると書き込んだコラムや随筆よりも意識の座が浅いからです。
一方で小説が読めなくなった時期がありました。それは精神の病気が落ち着かず転院を繰り返していた頃。あの時は新書本とノンフィクションしか読めなくなっていました。なぜ小説が読めないのかというと、余りにも内面に深い表現をしていて、逆に読んでいる自分に深く突き刺さってくるから。余りにも訴えかけてくる問いが大きすぎて、それに精神が答えきれず拒否反応を起こし、集中できないという拒絶反応を起こしました。こうして小説が読めない期間が10年近く続いていました。
小説の目的は世に複眼視的な現象を提示し、問いかけること。そして自分自身を深いとこらで開示することでの表現です。コラムなどとは深さが断然違うのです。精神科に通院中の人で小説を読めなくなったという人は少なからずいるはずです。小説は受け止める自己が安定していないと楽しむことは出来ないと思います。
小説で深刻な問題を扱う、啓蒙する、というのは認識が浅薄な見方だと思います。というのは、深刻な問題は誤解されることなく受け止められなければいけない、きちんと伝えられなければならないものです。そこに色々な表現のノイズやらアーチファクトやらが入り込んでしまえば伝わるものも伝わらなくなります。
また、ティーンズ小説の深さで「小説化」しても十分には伝わらないし、通常の小説の深さで「小説化」したら、実際その問題で苦しんでいる当事者に刺さりすぎて見るに耐えないものになる可能性があります。当事者は下手をすると精神疾患と同じくらい精神的に弱っている場合もあります。そうすると、深い表現では刺さりすぎて受けることが絶えがたくなってしまいます。当事者を置き去りにした表現に一体どんな意味があるというのでしょうか。
そう云う意味で表現手段というものはいろいろな意味において相手を選びます。安直に手段を選んではいけないという事です。表現の深さを考えて表現に当たらないと、自分のエゴにのっとったパフォーマンスばかりに走っていると、いつかは人を殺すと思います。くれぐれも表現をするときは対象(読者、受け手)と意識の座(自分の意識の深さ)をよく自分の感覚に素直になって自覚しながら表現をしていきたいものです。
結論:学研の学習マンガのような小説には存在価値はない。
※
<参考> p154の「偏見と小説」
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先日の日記で「ラーメン専門店は禁煙にしろ!」といった私であるが、れっきとしたタバコ吸いである。そうはいっても、仕事のときは喫煙所があってもタバコは吸わないし、食べ物屋ではタバコは出来るだけ控えている、いわんやラーメン屋をやというわけで、自分ちで小さくなって換気扇の下に椅子を持ってきて活字を追いながらタバコを吸っている。キッチン・スモーカーなのである。持ち帰りの仕事があって、休みでも追われている私には、ダクトの下で軽いタバコを吸いながら好きな本を読むのは小さな楽しみになっている。
世のお父さんどもにはベランダ・スモーカーという人々がいらっしゃるとのことだが、キッチン・スモーカーはまだ露天でないし、換気扇をまわすと誰からも文句が言われないという点で止めにくく本当に性質が悪い。
大学時代にピアノを習った恩師はキッチン・スモーカーだった。ピアノ教師はとても忍耐のいる仕事である。反抗期を迎えた中学生なんて来た日にはストレス爆発することもあるし、おとなの生徒はプライドと腕が反比例してまた、扱いにくいだろう。一番扱いやすい素直な子供の生徒だって親との関係で胃が痛くなるかもしれない。少子高齢化とコンピューター人口の低年齢化で生徒は集まりにくく、子供の生徒にピアノを練習させるのもたいへんだ。優雅なようでストレスフルなのだ。しかしながら、流産されたのをきっかけにタバコをきっぱりと止めたという。
キッチン・スモーカーは賃貸物件に住むひとが家を汚したくなくて出来た言葉だけど、換気扇の下なら吸っていいとなると本当に止めにくい。これが、少しでも汚れていたらペナルティというなら、本気で禁煙を考えるが、現実は誘惑が余りにも多い。
分でもないのに、文章系(フィクション)のMLに入ってしまった。勿論ROM専用にしようと思ったけど、折角なら参加できるようになるべく努力はしている(実らない努力も、ええ、ありますとも)
現在フィクションは読書8年のブランクを埋めるように読むことからリハビリしていますが、調子に乗ってオンライン小説とか書き始めたら笑ってください。(いや、前のペンネームのときに書いて沈没した…8年は、まぁ苦労していたと思ってください)
文章を書くという、しかもフィクションとなるとある程度個性が強くないと出来ない面もあるのか、衝突や喧嘩を心配するかのように参加に当たっての注意書きの文章が、A4、2枚相当に渡って送られてきて、かつ、メーリングリストの使い方のサイトへのリンクも貼ってあった。
以前あるサイトのMLでドンチャンパカチキの騒動になったことの答えが新規参加者へのメール、特にリンク先に注意書きとして全部書いてあった。過去の情報の積み重ねがサイト上に情報としてあるなら、それを利用するべきで、コミュニテイの成熟ウンたらというのは笑止千万で余りにも愚かで無責任な話である。防ぐことが出来る部分を努力もしないでコミュニテイの成熟も何もあったもんじゃないと思う。
掲示板やブログのマナーもHTML文書としてあるのだからMLにもないわけはないというのが正常の判断だと思う。それを捜す手間を惜しんだのは余りに寂しいものがあるとしか言いようがない。
多くの人を引っ張る人の人に対する誠意というのは、まず、利用できる情報をなるべく簡単な形で共有し、予測できるトラブルは防ぎ、予測できないトラブルに備える。今日のMLの管理者さんはその努力をすることで新しく来る人へ誠意を見せていた。逆に、トラブルを進んで起こすことで内部を疲れさせたサイトは、そのトラブルは多くが予測可能のものであり、運営のだれも厳しい顔を見せようとしなかった。それは大人のマナーではなく、単なる無責任にすぎなかった。
誠意というものの意味を考えると、予測可能のことで人を疲れさせないことではないかとつくづく思う。
メーリングリストビギナーズコラム
http://www.kt.rim.or.jp/~atsato/beginer/index.html
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こんなラーメン屋は嫌だと言ってみる。
(1)BGMがJAZZ
最近JAZZがブームなんだか知らないけど、JAZZを掛けているラーメン屋が増えた。そう云うところの特徴ははっきり言ってマズイ。おっと、断言しちまったけど、十中八九美味しくないことは身をもって体験済みである。あのリズムで味加減や茹で加減が狂うのかも知れないが、最初の心意気からたるんでいるのである。雰囲気でごまかそうという魂胆が丸見えであるからお話にすらならない。
(2)喫煙
折角美味いスープをすすっているときに横でネーちゃんが置きタバコしてくっちゃべっているとむっとする。スープが売りのラーメン専門店なら禁煙にするべし。タバコ吸いは混んでいて列が出来ていてもタバコを吸うために席を占有する。とにかく禁煙でな。
(3)ティッシュがない!
ラーメンを食べているとまず、いつでも鼻水が出て困る。そんな時、ティッシュがあるとほっとする。が、一部のラーメン店ではティッシュをカウンターの一箇所と、もう一箇所柱に括り付けてケチっているところがある。そんな店に入ってしまったら、非常にばつの悪い思いをしかねない。頼む、ティッシュはふんだんに置いてくれ!
(4)いつもどうもという
いつも行きたくていっている場合だけではない。仕方なく行っている場合だってあるだろう。これはどんなお店にも共通することだが、逆に行きづらくなることだってあるのだ。
(5)店員の私語が多い
やはり、気合が欲しい、そう思うのは私だけだろうか。カウンターの向こうで談笑されていると手抜きされて作られているようでとても萎えなのだ。
色々ワガママを言ったが、ラーメンは高々600円+アルファで幸せをくれる不思議な食べ物。大好きだからワガママも言ってみたくなるものだ。新しい町に移り住んだら是非ともお気に入りのラーメン屋さんを見つけて和みたいものである。
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既に言いつくされた感はありますが、本日はミクシィのコミュニケーションツールとしての危うい点を挙げていきます。
以前(と言うか今も継続中ですが)GREE、キヌガサ、orkut、ココロプラネット、ホムピー、livedoorフレパ、FC2ネットワークなどに分析のため入ってみました。これらあげたもののうちで、ミクシィのように依存性が問題になるものは余り聞きません。それらと比べミクシィだけに特異的なものはありませんでしたが、機能の組み合わせに問題があることがわかりました。ビンゴなのです。その組みあわせにゆがんだコミュニケーションを産む土台があると考えられます。
それは
(1)アクセスブロック
俗にアク禁ともいいます。悪質な書き込みをするユーザーをブロックするためのもの。しかしこれには問題点があって、嫌がらせに使うことが出来てしまう。ある友人はある人から悪質な嫌がらせのメールや書き込みを受けましたが、相手がアクセスブロックをしていてIDを拾うことが出来ず嫌がらせはやまず結局その方はミクシィを止めてしまいました。どうせなら喧嘩両成敗でアクセスブロックをした相手のアカウントには行けないようにすればいいのに。そうすれば安易なアクセスブロックもこうした悪質な嫌がらせもなくなると思いませんか?
(2) 足跡
これも他のSNSにもあるものですが、ミクシイの足跡はかなりの数(30個)が記録として残るので考え物です。足跡が残るのが嫌で訪問しない人もいるかも知れません。また出会い系が宣伝の為に足跡を残すケースもあり、こちらが問題だと思います
(3) 日記の公開度を簡単に変えられる
これも考え物です。他の多くのSNSでは記事ごとに公開設定をしなくてはならなかったり、記事は公開しか選べないSNSもあります。友人限定が本当に友人限定なのかはわかりませんが、ミクシィの閉鎖性、依存性を助長する部分であると思います。
(4) ログイン時間
ログイン時間を簡単に一覧できるのはミクシィともう一つくらいだったと思います。これも依存形成に大きく買っていると思います。2ちゃんねるにはまる人もいますが、2ちゃんねる、(あめぞう系)あやしい系の持つ依存を促進する要因は、レスが直ぐ来るという点です。そのような傾向を更にログイン時間5分以内のミク友とコミュニケーションしようとする点で、より依存性を強めています。
以前、ミクシィは2ちゃんねるより怖いということを書きましたが、特に(3)と(4)の点で冗談抜きに2ちゃんねるより怖いと思いました。人によっては待つ事が出来なくなるのではないだろうかという点から。
一見安全そうで便利なミクシィ、でもそこは所詮顔の見えないネットの関係。ミク友だって多くの場合、ネットだけのお付き合い。こういう場合交わす言葉は長い方が誤解を生まなくていい、丁寧であれば丁寧なほどいいと思います。短い言葉でゲームのように他人を斬るのは問題があります。(長すぎるのも問題がありますが)従来のネットのコミュニケーションとは違って平等なコミュニケーションが成立し得ない、(1)〜(4)のようなコミュニケーション不全のあるミクシィの現状においては、闇が口をあけて待っていることも考えなくてはいけないと思います。
↓以下発見したマル秘(?)レポート
なぜ私はミクシィ中毒に陥ったのか?ミクシィ中毒の精神科的考察
byうっかりゆきせんせ(そこの君、笑ってる場合じゃないよ!)
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