私の身近なネットに詳しい人々が口をそろえて言う台詞、
SNS(ソーシャルネットワーキングサイト)、とくに、ミクシイは怖い。
お気に入りのブログなんてそんなにないが、人のミクシイは本音や弱音が書いてあり、結構面白い。だから、ついつい書き込みをしたくなるのだ。その敷居の低さは、そもそも「友人の紹介でないとは入れない」「知っている人しか見ていない」という、安心感から来るのだろう。しかし、その「知っている人」の基準って一体何だ?本当にみんな友人の紹介で入っているのか?その最低限のことすら怪しいものだ。だって、私はミクシイ友のうち半分もリアルで会っていないのだから。
ある友人はミクシィが大嫌いで、赤裸々に自分のことを書いてしまいやすい点が嫌なのだという。確かにそうかもしれない。ミクシイのノリで普通のブログを書いたら相当まずい。個人は特定されてしまうし、事物も特定される。もしかしたら自分一人用のワード日記では決して書かないようなことも読者に煽られて書いてしまうかもしれない。ましてそれが検索の対象に入っているとなったら態度は変わるだろう。それに、いつミクシィの運営の方針が変わってプロフィールや日記も検索の対象になるのかわからないのに…
一方、インターネットの魅力は匿名性にもある。個人が特定されては面白くない情報もたくさんあるだろう。あくまでも「便所の落書き」だからこそ許される面白さなのである。
私もミクシイにはまっていた時期があり、そのノリでブログを書いたら、大変なことになった。特に、「友人限定」の日記のときは、破壊力抜群だったと思う。もうバカはやめよう。あくまでも品よく、匿名性を保ち、品よく、個別性を保つべきだ。
衝動的に書いていい場所がある、と言うのはよくない。衝動的な文章はリアルタイムで見ていては面白いが、所詮完成された文章ではない。自分で落書きできる便所の壁を一枚持っていたところで何も向上しないのと一緒である。書き込む緊張感のない掲示板なら書き込まないほうがいいと思うのは私だけだろうか?
だから、ミクシイは友人限定の公開はめったにしないことにした。ミクシィ日記のつもりでこのページに行き着いてしまったあなたには、ごめんなさいというしかないが、特定のグループだけの日記・ネット情報は危険が大きすぎるし、破壊力も大きすぎる。大体、その中には裏切り者も、ひょっとするといるかもしれないし、友達の友達に敵が紛れ込んでいるかも知れないのだ。こんなことを考えるのは寂しいことだ。でも、顔の見えない中に安堵もあれば敵意も生じるということはネットという顔の見えない社会では必ず考えなくてはいけないことなのである。
さてと、もう少し落ち着いて書こうか。私は実は誰にも知られない場所を確保した。それは自分のPCのスティックメモリーの中や、足跡も署名も消した2ちゃんねるやYAHOO!掲示板の中である。(人によってはあやしいわーるど系のほうがいい場合もあるかもしれないけれどw)
いずれにせよ、ハイパーテクニカルな人間からすれば何でも個人特定可能だと思ってほしい。あなたはそこまで追及する価値のある人間か?一般人レベルでは2ちゃんねるやYAHOO!など、掲示板のセキュリティを気にするなどは、自意識過剰としか思えない。それがアングラサイトでなくてエロサイトでも「だからどうした」と大人なら言い切るべきだが、そう言えないなら、後になって心配するくらいなら書き込まないほうがいい。
ともあれ、ネットの匿名性は静寂性を保ったままで、人に優しい方向に活用したいものである。
♪コメントは掲示板へ♪