この年代でもっとも予算の掛かったプリンスの作品!?
全米No.1ヒットの表題曲について書きます。
白いガータベルトとミンクのコートが似合いそうな小麦色の肌のグラマラスな彼女は、当時20歳になるかならなかったか。音楽一家に生まれ、大学で若くしていくつかの楽器で学位をとった。そんな早熟な彼女だが、この表題曲の歌詞はその後の彼女(の保母さんを思わせる愛らしさ)を見ていても、彼女が作ったとはとても思えない。直接的で卑猥で、暴力的な歌詞。 メロディは彼女が作ったとしても、あの歌詞はプリンスによるものだろう。
プリンス自身、何気なく参加したことをアピールしている。この曲のボーカルの影が薄いのは全編ユニゾンのコーラスになっていて低音部が明らかに自己主張しているせいではないかと思う。シーラの歌だけではもちろん線が細すぎてこの曲を歌いきることが無理だと判断してのコーラス配置だろう。
プリンスは自らの作品でもハイトーンの女性ボーカルを好んで使う。 シーナ・イーストン、エリサ・フィロリオ、小比類巻かおる、リサ&ウェンディもコーラスの一部として高音部を担当、 プリンス自身が低音部のコーラスを楽しんでいる。 間違ってもカサンドラ・ウィルソンには声をかけたりしないだろう。
この曲の面白さは、コーラス低音部のプリンスの力強さ、そして何よりもパーカッショニストとしての彼女の技量しかないと言っても過言ではないだろう。低音部にはQueenのKiller Queenに通じる面白さがある。フレディはオカマの娼婦と男の二役を演じていたが、プリンスはシーラを表に立ててオカマの娼婦を最後まで演じきっている。
今度は楽器の話。殿下が大好きな安っぽいシンセの音が前面にあるものの、 殿下自身のアルバムにも当時使っていなかったサックスが、 イントロの前の部分にソロとして挿入されている。そして、ボーカルが終わった後、5分以上にわたる、 シーラのパーカッションのソロ。この曲の独自性は、その部分で保たれている。歌というのは売るための符牒に過ぎず、本当はこのパーカス・ソロが主役で、歌がおまけだったのではないかと私は確信している。
シーラはプリンスと共演した他の女性ミュージシャン(リサ&ウェンディとprinceは決別)とは違い、 今でも殿下と仲良く、ライブでは保母さんのように、 殿下よりも楽しそうにタンバリンを叩き、楽器で遊ぶように自然に演奏している。彼女にとって遊びも仕事も音楽だから、プリンスのことはよく理解できるのだろうか。時々はしゃぎすぎて、そのあとに「やっちゃった!」という表情をしているのが、ちょっぴりお茶目である。
このアルバムはそんなシーラの唯一ヒットチャートに載ったアルバムである。彼女のもともとの姿はジャズやフュージョンのパーカッションの専門家である。そんな彼女が一番楽しそうにしているのはプリンスのライブのときではないかと思う。なぜならば、天才の気持ちは天才にしか分らないのだから。
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