以前起こった、真光元事件に絡めて、 宗教と医療の境目についてお話しようと思います。あの12歳少女は、ステーキを食べたから死亡したのではなく、生命維持のために必要なインスリンを打たなかったから死亡したのです。そしてあの62歳の教祖が病気に関して無知でかつ傲慢で信者に対して搾取に当たったのであのような痛ましい結果になったのです。あの少女の冥福を、お祈りします。
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「カミサマ」と呼ばれる「祈祷師」がいる。彼らは、幻覚などの異常体験を体験した事のある人たちである。彼らは祈祷行為を行い、ある種の病を「治療」している。
彼らが治療する病気には、おそらく軽症のこころの病が多いのではないかと言うことは、統合失調症の初発の患者さんが「おばあちゃんに連れられて「カミサマ」のところに行った」が、「カミサマ」に 「これはうちでは治せないから精神科の病院にいきなさい」と言われて、家族が精神科の病院に連れてきた、という話が多いからである。
ここでいえることは、「カミサマ」は特殊な能力があり、患者さんの自己治癒力を引き出して病気を治す力を与えるのと同時に、「病気や医療の知識を持った隣人」であるということ。「カミサマ」に行ったことがないので祈祷量の相場は分からないが通院費よりも安いはずはない。そこを「病院に行け」と言うのだから、自分の能力の限界を判っているのだと思う。昔、病気の人に狐がついているとして祈祷師がその人を殺害してしまった事件があった。「カミサマ」のところに「キツネつき」が来たとしても、家族から金品を巻き上げた上に憑かれた人間まで殺してしまうということは絶対にしないだろう。
62歳の教祖は真光元を飲むと、「糖尿病のような枝葉末節の症状は治る」といって1型糖尿病の少女から生命維持に必要なインスリンを取り上げた。 挙句の果てに生命までをも奪った。このことを祈祷師とキツネつきに当てはめてみよう。キツネつきから、キツネを退治できないままに金品を巻き上げ、しかも当のキツネつきを死なせてしまった愚かしい祈祷師としか思えない。
優秀な者であれば、占い師だろうが、祈祷師だろうが、民間医療の専従者であろうが、はたまた、東洋医学、西洋医学の医師であろうが、自分の治療の限界を知り、その人に合った治療をし、自分の限界を超えていれば妥当な治療者を紹介し(代わりの方法を知っているというのも能力の一つである)、迷える人を追い詰めたりしないものだと思う。追い詰めてしまう根底にあるのは自分の利潤追求と無知と傲慢で、それは無理なことをすればするほど起こりうる。
「カミサマ」が精神科医療へよせる信頼は、実は精神科医療も「カミサマ」に期待していることなのかもしれない。(1)本来ならば社会に、小さくなっていなければいけない、完 全な社会復帰まで行き着くことのできない軽い異常体験を持つ患者さんが、癒しの力を持つ。ひいては(2)医療の必要性を隣人に教え、完全自立できないまでも、生活する糧を得る。軽症の患者さんが「カミサマ」になる例を経験している精神科医は実はこの地方では少なくないらしい(医局の雑談レベルの話です)。
「祈祷師」を生業とする、「カミサマ」が精神の不調を来たした人たちを正しい医療へつなげることができるのは、己の限界を知る謙虚さと、病や人間への共感なのかもしれない。少なくとも「カミサマ」は自らが神を名乗る「教祖」ではない。
※「カミサマ」というのは東北某地方における「祈祷師」の俗名で、「祈祷師」という職業を表す語句です。
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