ネットが普及しだした、といってもまだダイアルアップ接続で夜11時以降のつなぎホーダイが流行だった1999年ごろのこと。ある友人がこう言った「ネットは怖いでぇ、脳と脳とで直接会話してるようなもんやからなぁー」。
当時、1週間に2回しかメールチェックしなかった私には何のことなのかさっぱり分からず、「ふーん…」と相槌を打っただけだった。
掲示板上で知り合った人と実際に会おうという気にもなれなかったし、ネットと実生活(リアル)は完全に別物という認識があった。ネットの人はあくまでもネットの人だった。去年、家にADSLが入って常時接続になりスカイプやらチャットやらブログやらミクシィやらが入ってから初めて「ああ、脳と脳が直接会話している感覚ってこんなのだろうな」と実感するようになった。それに伴い、オフ会の敷居が低くなった。それはミクシィの影響かもしれない。
ミクシィに実際会った事のある人しか「友人」としない人がいるけど、それは正しい選択だと思う。なぜなら会ったことがある人でないと、トラブルの際、どう埋め合わせしていいか分らないからである。それでもミクシィは読者を限定してものを書きたいとき、意見を聞きたいときには非常に便利だと思う。上手に使えば自分の能力を伸ばすことが出来ると思う。これはブログも同じだと思うけど、ブログと違い読者を限定できる点にメリットがあると思う。だけれども、個人的なことをあそこに書き込むのも、ストレス解消に好き勝手書くのも感心しない。
このようにミクシィは平和時にはいいが、荒れたとき誹謗中傷マシーンとして凶器に変わる。ミクシィの管理はきちんと行われているのだろうか。それにしても、ミクシィは普通のブログよりコメントを付けやすいけど、あのコメント窓の敷居の低さが平和時はともかく荒れたとき、その荒らす側の人間性の原始的な部分を丸見えにするから恐ろしい。それにしても荒れているときのミクシィは脳と脳が会話している感覚に近いと思う。
もっと脳と脳の会話を的確に表すのは2ちゃんねるである。トラブル時のメールやミクシィはまだ人格がある脳の言葉であるが、2ちゃんねるは既に人格の殻を失った脊髄反射という脳の言葉である。荒れているときほど、脳の言葉は垂れ流しにされやすい。2ちゃんねるは人格を形骸化することが逆に面白さのように言われるが、あの表現に慣れてしまうとキチンと表現をするのが難しくなる。原初的で凶暴な脳の言葉。それが2ちゃんねるの言葉かもしれない。匿名は時には恐ろしいものである。ただし、匿名性を自覚しながらうまく活用することと、2ちゃんねる用語を2ちゃんねるに対するカリカチュアとして使っている限りには於いては面白く使えるんじゃないかとは思うけど。また、2ちゃんねるは「危険です」と自分からアピールしているという点に於いては、「安全です」といいつつ罠が潜んでいるミクシィよりは良心的かもしれない。
この日記は、サイトのコンテンツが何種類かあり、ブログだけ特別扱いするのは嫌なので、はてなダイアリーをわざとコメントできないようにして、コメントを掲示板にいただくようにしてある。それはお返事を確実にしたいというのもあるが、何よりも脳と脳でお話したくないからだ。
ずいぶん前からコメントやメールはテキストエディタやワードで編集、記事についてはワードで編集と、コメント窓やブログのエディターを使わないようにしている。一回文書として打ってしまって、校正する。なるべく、直接的にネットに「脳の言葉」を流さないような工夫である。「脳の言葉」は、時として人を傷つけることがある。だから、「脳の言葉」は流さないようにしている。
♪コメントは掲示板へ♪
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